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京都 東寺  [京都]

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京都 東寺

「うちらの高校は東寺の五重の塔のてっぺんと同じ高さのところにあるんや」洛北高校出の友人がそう言っていた東寺。その昔朱雀大路に建つ羅生門を挟んで東に東寺、西に西寺があったが、繰り返される戦乱などで焼失し東寺だけが再建され現代に残った。徳川家光の時代に再建された高さ約55メートルの五重の塔は全国一で国宝に指定されている。

 15689月、将軍足利義昭を奉じて上洛した信長は東寺に入る。国家鎮護の東寺に陣を構えて自らの意思を示し、ここから天下統一の一歩を踏み出した。明治の頃まで東寺の南側は広々とした畑で、まして信長の時代は洛外の荒野だっただろう。浅井長政と合わせ6万と伝えられる軍勢を留めるためにも、逃亡した三好勢を追討するためにも都合がよかったに違いない。上洛した信長は将軍はもとより天皇にも兵を預けなかった。それに引き換え維新後に二流の人材が創った明治政府は自分たち(議会)ではなく、天皇に軍を委ねる(皇軍)というとんでもない誤ちを犯した。これがずっと後に統帥権干犯問題を惹起し、軍の暴走を許すことになる。