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京都鹿ヶ谷法然院 [京都]

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京都鹿ヶ谷法然院

 法然院は平安末期の僧法然の草庵跡が江戸時代に再建されものだ。今や観光公園と化した疏水に沿う哲学の道から近いにもかかわらずここは静寂な雰囲気が保たれている。
 仏教公伝(538年)以来、日本の仏教は皇室・貴族が独占し、鎮護国家を標榜して僧尼令や僧綱・度牒制度※が導入され寺院や僧侶は官僚組織の一員と化していた。武家が権力を握った鎌倉時代、比叡山延暦寺で学んだ法然は、曹魏(三国志の時代)の康僧鎧(こうそうがい)仏説観無量寿経を撰述した(600年頃、玄奘三蔵と同時代の僧)を深く学び、僧堂での理論研究や厳しい修行ではなく、一般民衆が生活の合間に実践できるような易しい教えを説き、民衆の間に仏教を広めた。自らを三学非器の凡夫とした法然は、念仏を唱える者は自身を含めた凡夫でも確実に往生できるとして専修念仏を唱導し、仏教界で初めて女性に対しても布教した。法然の庇護者・帰依者には歌人式子内親王、公卿九条兼実、武将宇都宮頼綱らがおり、多くの俊英、名僧を育てた。後に浄土真宗を興した親鸞も弟子の一人である。法然は浄土宗の開祖であるとともに日本仏教界の偉大な革命家であった。
度牒(どちょう):国家機関によって新たに得度した僧尼に交付される身分証


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