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祇園白川巽橋 [京都]

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祇園白川巽橋

ここ巽橋界隈は、観光客が集まる格好の撮影スポットとなってしまい、今では朝早くに出かけないとその風情を楽しむことはできない。右手には花街の人たちがよくお参りする辰巳神社があり、さらに白川に沿ってゆくと耽美派の歌人吉井勇の「かにかくに…」の歌碑がある。吉井勇は白秋、啄木、鴎外らと交遊し、伯爵家という出自もあって時代の寵児であった。祖父吉井友実は旧薩摩藩士で伯爵に叙せられたいわゆる「勲功華族」。大久保利通に近く政府の要職にあって「戸籍法」「大日本帝国憲法」などの審議にかかわった人である。
 明治新政府は、欧米列強諸国に対抗するため富国強兵や殖産興業といった施策を打ち出すが、それに先立つ資金と兵力・労働力確保のために徴税・徴兵の基礎となる全国一律の戸籍作りに取り組み、早くも明治4年には戸籍法が制定された。板垣退助、渋沢栄一ら人権意識の高い人たちは、同時に四民平等の立場からそれまで穢多非人とされていた被差別部落民の解放を提唱し、欧米諸国が賤民制廃止を要求したこともあって明治3年には賎民(身分)解放令(太政官布告)が出され彼らは平民に区分された。しかし岩倉や大久保ら身分制度撤廃に消極的な人たちにとっては、これはあくまでも外国からの押し付けであり、天皇制の否定につながるとして具体的な解放政策を一切実施せず、それどころか明治5年には皇族、華族、士族、平民といった身分制度を定めて華族が四民の上に立つこと(皇族華族取扱規則)や爵位制度を定め、新政府樹立に貢献したものが華族となる(華族令公布明治17年)など新たな貴族階級(勲功華族)が出現することになった。



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